Special Issue

私が最初に夫と出会ったとき、彼はもうすでに森の写真を撮りはじめていました。そうして長女が生まれ、森繪(もりえ)と名づけたのでした。次女のはんなが生まれたのは、花の写真を撮っていた時期。三女の像繪(ぞえ)は『Portrait』という肖像の連載をまとめた写真集を発行したときでした。
――ポートレートも大きなテーマですね。

朝日新聞出版の雑誌『一冊の本』で小説家の安岡章太郎さんをはじめ、当時僕の気になる日本人のポート―レートを撮っていました。その直前、まだ長女しか生まれていませんでしたが、家族みんなでニューヨークに引っ越そうとしてアパートも見つけていました。そのニューヨークからの帰りの飛行機で、まだ日本で撮れていないものがあるんじゃないかと思い始めて。そうだ、もっと日本人のポートレートを撮らなければと思い、成田に到着してすぐ出版社に連絡して、そこから『一冊の本』の連載が始まりました。それでニューヨーク行きはやめることにし、その約3年後に写真集になって。そのころに三女の像繪が生まれました。


――森のシリーズも、木のポートレートみたいに見えます。

そう思って撮っているわけではないけれども、距離感とか、立ち位置とか、そう言われれば似ているかもしれません。人物のポートレートを撮るときには気配を撮ろうとする。そういう意味では一緒かもしれない。
人物を撮るときは「結界」を越えていかなければならないときもあります。その距離までは心地よく向き合っていられるけれど、そこを越えたときに、苛立ちや恐怖が生まれる。動物的な勘のようなものでギリギリの線を探すし、人物を捉えなければならないときは、一歩踏み込む。結界があっても、それがなくなる瞬間に内側に入っていく。
――風景写真としての森の写真とは違う感じですよね。

たとえば、絵画における多くの風景画というのは、安全な場所から冷静に描かれていますよね。一般的な風景写真も同じようなものかもしれません。結界というギリギリの場所ではなくて、安全な心地よい場所から捉えているものが風景絵画や風景写真とすれば、僕の撮る森の写真はそういう意味では風景写真ではないですね。安全な場所から単に「綺麗だね、美しいね」と撮るものには興味がないです。


――広告写真はどのようなものとしてとらえていますか。

広告だから美しく、きれいに、楽しく撮ろうとしているわけではなくて、本質的なものを捕まえるというか。生け捕りにすることを目的として撮るのは、広告の写真も自分の作品の写真も違いがありません。
その人や場所にとって、いちばん感じるところを撮ろうと思っているだけです。広告も作品も撮るときは楽しいですよ。広告は関わっている人が多いから、こういうふうに撮りたいと言っても、それは難しいんじゃないか、とか周りがあれこれと心配することも多いけれども、年の功というか、聞こえていないふりをしたりしてね(笑)。のらりくらりして、いざ撮ってみると、ほら、ってなる。そういう流れは楽しいですね。
――「上田さんは、撮影していないときは常に暗室にいる」と言われるくらい、自らプリントしてこだわりも強いですよね。

プリントは、自分で必ず行います。
専門のプリンターの方にお願いすると、時間や予算の関係で、最初に出していただいたものに修正をお願いしても、3枚目ぐらいにはこれでいいです、と言わざる負えなくなくなってしまう。でも自分でやれば、納得するまで、どこまででもやることができます。弟子にもよく言いますが、まず色や明るさなどの大まかな方向性を決めて、少しずつ調整しながらプリントしていく。するとある時点でいいな、と思うプリントが出てくる。そこで満足せずにさらにプリントを続けると、またある時点からダメになってくる。そこで初めて、先ほどいいなと思ったプリントがベストだという確信が持てる。これは、自分でプリントしないとわからない感覚なんです。
また、プリント後の画像には、白く抜けるゴミのようなものがあるのですが、それをひとつずつ埋めていく“スポッティング”という作業も大事にしています。目で見えるか見えないかくらいの点なので、気にしない人は気にしないけれども、スポッティングしたものとしていないものを比べると、どうしてもしたものに惹かれていく。
それを僕は師匠の有田泰而に二枚の写真を見比べながら教えてもらって、ショックを受けました。同じように見える写真だけれども、初見でもスポッティングをしたプリントのほうがいいなって思う。人の目って気がついていないようでいて、実はちゃんと見えていて、感じていて、気持ちがいい方を選ぶんだよ、と。スポッティングは必ずやらなきゃいけない、手を抜けない作業だと意識しました。
――撮影へのこだわりから、見せ方のこだわりを突き詰めて、gallery916を始めたのが2011年。

写真が出来上がったとしても、どう見せるかという環境は大きいわけで。僕は広く天井が高くて気持ちがいい場所で写真を見せたかった。そのためには、壁や照明もとても大事だと思っています。
以前ドイツで、ある仕事をしている時にちょっと時間ができて、僕ひとりで小さな美術館に行きました。ほとんどだれもいない、天井の大きな明かりとりからやわらかな自然光が入る美術館で、そこで絵を見ていたときに幸せな場所だなあ、と思ったのが記憶にあって。写真を展示するときに、必ずその光景が蘇ってきます。そのときの記憶がここをつくるきっかけになったともいえます。


――600平米の広いスペースで写真を体感できる、ほかのどこにもない特別な場所でした。

ここがなくなったあとのことを僕はまだ想像できなくて。そのときが来たら結構ショックなんだろうなと思います。今後、自分の作品はどこで見せればいいのかということも、自分にとっては大きな問題だと思いますが、今はただ身構えているだけですね。理想とするような場所を、いつかまたつくれるかどうか。
――展示の設営も自らおこなっているのですね。

ふつうのギャラリーだと展示の設営にそんなに時間をかけられず、1〜2日間ほどしかもらえなかったりしますが、ここは1週間くらい準備期間を設けています。そのぶん自由になれるというか。
森の写真は、並行に配置すると固い。いわゆる“写真展”という感じになるのを避けて、壁の上や下に、写真をずらして展示したのは、僕が森で見ていた視点そのままです。見る人にも同じようにアンジュレーション(起伏)を感じてもらえたら、と思って。高かったり、低かったり、見上げたり、見下げたり。僕は、もっとランダムに森を見ているわけだから、見たまま、感じたままに展示しようと思いました。


――この場所が好きだった人も多いです。喪失感が大きいのでは。

決して、たくさんいるわけでないけど、心のよりどころというか、心休まる場所として大切に思ってくれる人がいたのは、本当にうれしいです。
――ギャラリーなので写真を買うことができますが、大きな写真を自宅に飾るのは難しいと思う人も少なくないはず。

その作品を飾りたいという強い欲求があれば、なんとかなるのではないでしょうか。
僕は学生時代、3畳の部屋に住んでいて、そこにあった押し入れをじっと見ていたら、はっと気づいたんです。押し入れの板をはずせば4畳半になる、と(笑)。板をはずして、ペンキをぬったら、ポンと新しい空間ができた。そこに絵や写真を飾って、「いいなぁ」と悦に入ってました。
住宅事情もあると思いますが、そういう気持ちがおこるかおこらないかということが大切だと思います。逆にいうと、飾るところがなくても買ってしまって、そのために新しいところに引っ越そう、ということがあっていい。そういうのも案外楽しいかもしれません。


――7年間のうち、忘れられない展示は?

自分自身の集大成ともいえる「A life with camera」も忘れられませんが、自分の作品以外で最初に紹介した海外のフォトグラファーのラルフ・ギブソンの展示や僕の師匠であった有田泰而の写真展なども行いました。
自分の写真だけじゃなくて、こういう場所で人の写真も見たらどうなるのだろうなと思って。自分がいいな、と思う人、純粋に好きな人を紹介できたのはよかったですね。
――大学でも教えるようにもなり、ギャラリーで授業が行われることもありました。

毎年、僕が教えている多摩美の学生たちの卒業展示をここで開催しています。本当は去年の12月でクローズしようとしていましたが、学生たちに「えーっ、ここで卒展ができると思って写真を撮ってました。なんとかしてもらえませんか」と嘆願されて。それで3月末までやろうと。3月29日〜4月8日、学生たちの卒展が最後の展示になります。


――学生たちや写真家を目指す次の世代に何を伝えていますか。

「静かに見つめること」と「特別な光」。その2つが重なると奇跡が生まれるよということ。いわゆる日常と言っても毎日同じことが繰り返されているということではなくて、二度と起こらないことが毎日起こっているということ、そこに気づいて見つめるということ。いつもあると思っている光が、今ここでしかありえない特別な光というものに変わる瞬間があって、それを生け捕ることで奇蹟の写真が生まれます。それを僕の学生たちは耳にタコができるくらい聞かされています。学生たちの作品、本当にいいんですよ。
――今後の新たな作品や活動の予定は。

いろいろと動いていますが、今のところ、秘密です(笑)。
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上田義彦写真展「Forest印象と記憶1989-2017」
2018年3月25日まで
平日 11:00 - 20:00 / 土日・祝日 11:00 - 18:30
休廊 月曜日(祝日を除く)

Gallery 916
東京都港区海岸1-14-24 鈴江第3ビル6F
電話 03-5403-9161
http://gallery916.com/