Love of Travel

マレー半島に、まるで「ハウス オブ ロータス」の世界がそのまま街になったかのような場所があることを知り、マレーシアのマラッカとシンガポールを旅してきました。
目的は「プラナカン」の文化を探ること。

15世紀頃、マレー半島はビジネスの好機を求めて中国から多くの人々が移住してにぎわいます。やがて、彼ら中国出身の男性たちは現地の女性と結婚し、中国系の父親、マレー系の母親の間に生まれた子どもとその子孫は「プラナカン」と呼ばれるようになったのでした。
商才を発揮したプラナカンたちは巨万の富を築き、マレー半島がイギリスの植民地になると英国流の文化も取り入れて、中国、マレー、西洋の文化が融合した独自の文化が花開きます。繊細なビーズで装飾された洋服や靴、アクセサリーや西洋と東洋の文化がミックスされた豪華な家具。淡いグリーンやブルー、ピンクなどのパステルカラーが中心でありながら、甘くならない大人っぽい色彩感覚のタイルや陶器……。華麗なプラナカンの文化は、初めて出合ったのに、不思議なくらい私の好みのテイストで満たされていました。
プラナカン発祥の地といわれているのは、マレーシアの首都・クアラルンプールから車で2時間ほど南下した場所にある、マラッカという街。古くからアラブ、インド、中国からの商人が集まる東南アジアの主要な貿易港として栄え、近世はポルトガル、オランダ、イギリスの植民地に、さらに戦時中は日本の占領地にもなり、時代に翻弄されながらも、東洋と西洋が融合した美しい文化が育まれました。
街の中心には運河が流れ、大航海時代の面影を感じるプラナカン建築が多く残り、なんとも優雅な風情が漂います。
オランダ統治時代の中心街であり、その後、裕福なプラナカンたちが居住したヒーレン・ストリートは「億万長者通り」と呼ばれ、その通りにある「ババ・ニョニャ・ヘリテージ・ミュージアム」は、黄金時代のゴージャスなプラナカンの世界を体感できておすすめです。プラナカンの男性は「ババ」、女性は「ニョニャ」と称されますが、こちらの博物館は実際に、大富豪のババやニョニャたちが住んでいた御屋敷がそのまま公開されていて、金、銀、クリスタルなどが惜しみなく使用された華やかなインテリアは、思わずため息がもれるほど!
ゴム農園などを経営して富を得たチャン一族の私邸が公開。 マレーシア最初のプライベート・ミュージアム。
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【The Baba Nyonya Heritage Museum】

開館時間:10時〜13時(午前の案内開始は12時)
14時〜17時(午後の案内開始は16時、金曜、土曜、日曜は17時)

48&50,Jalan Tun Tan Cheng Lock
75200 Melaka、Malaysia
http://babanyonyamuseum.com/
ババニョニャヘリテージミュージアムに併設されているカフェ1511にて、ラクサを。
中華風でもマレー風でもないプラナカンの料理は、ニョニャ料理といわれます。マレーシアでは「ラクサ」という、丼に入った麺料理が有名ですが、マラッカでいただいた「ニョニャ・ラクサ」は、ココナッツカレーのスープがとってもおいしかったです。マレー料理に中国、インド、西洋の食材や調理法が加わったニョニャ料理は、マラッカならではの伝統的料理なのです。
これで二人前!
街いちばんのおいしいチキンライスも食べに行きました。ご飯の上にチキンを載せたり、別々だったり、さまざまな形があるようですが、こちらはチキンスープで炊いたご飯をおにぎりのようにしたライス・ボールとともにいただくスタイルでした。
左上から時計回りに、「Kuih Pai Tee」「チャンドル」、「オクラのニョニャ料理」、「ニョニャ・ラクサ」
この旅のマラッカグルメを少しご紹介します。
左上は、「Kuih Pai Tee」という帽子を逆さにしたような形の薄いタルトの中に、千切りのターニップが入っている前菜。
右上は、マレーシアのデザート「チェンドル」。緑色の細長いゼリーと小豆がトッピングされたココナッツ風味のカキ氷。
右下は、オクラを使った伝統的なニョニャ料理。
左下が、ココナッツミルク・ベースのスパイシーなスープに米粉の太麺が入った「ニョニャ・ラクサ」。
後編に続きます。