Special Issue

夫である写真家・上田義彦が、主宰する写真ギャラリー「Gallery916」(東京・竹芝)にて「Forest印象と記憶1989-2017」を開催中です。約30年かけて撮り続けてきたアメリカと日本の森。静寂の中にも力強い原始の生命力を感じます。森が変わったのか、写真家が変わったのか、同じ森を撮っていても1989年の作品と2017年の作品では、空気感が違うのも印象的でした。
日常、お互いの仕事について深く話をすることはほとんどありませんが、この春「Gallery916」が7年間の活動を経てクローズすることになり、夫が大切にしてきたこの場所で、一度、写真に対する思いを真っ直ぐに聞いてみようと思いたちました。写真を撮影するとはどういうことか、なにが写真家に写真を撮らせるのか――。

思いがけずロングインタビューとなり、前編・後編でご紹介します。
――開催中の「Forest印象と記憶1989-2017」は、約30年前から撮り始めた森がテーマです。

アメリカ北西部のQuinault(クィノルト)という森を初めて撮影したのが1989年。
それ以降、屋久島など日本の森も撮影していたのですが、去年の5月、再びQuinaultの森に入りました。ちょうど新緑が出始めたころ。30年前と同じロッジに泊まって。それだけの年月が経つと、道が変わってしまったり、きれいに整備されてしまっていたりして、同じ場所になかなかたどり着かなかった。特に今回は森を案内してくれるレンジャーも頼まず、僕と助手だけだったので。車で行けるところまで行って、そこから8×10インチのフィルムを使用する大判のカメラを担いで森の奥へと歩いていく。観光客がトレッキングできる道を過ぎて、僕らはその先の誰も行かない森の道へ。まだ暗いうちにロッジを出て、朝7時くらいから夕暮れまで、ずっと森の中にいました。


――森に動物は。

ムース(ヘラジカ)がいます。馬の2倍ぐらいある体が大きな鹿で、木の向こう側に立っていて、静かにこちらを見ていたこともありました。エルクというお尻が白い鹿や、熊もいる。僕らは遭遇しなかったけれどもクーガーという猛獣もいます。ところどころに「クーガーに気をつけろ」と書いた看板がある。最初に森に入った時は、もしも出逢ったら金属音をカンカンカン!と鳴らして大声をあげろと言われて、その練習をしました。カメラの三脚に曲尺を打ちつけて、カンカンカン!と。

――そもそも、なぜ、アメリカの森だったのでしょうか。

最初は森を撮ろうとは思っていなくて。毎年、ある企業のカレンダーの仕事で、アメリカ西海岸の植物と絡めて人物を撮っていました。植生がおもしろくて、毎年、少しずつ場所を変えて撮影していたのですが、3年目ぐらいに北西部に行ったときに「不思議な森だね」と、気になる森があって。
ある朝、自分ひとりだけで森に入ってみたくなって、大判カメラを担いでロッジの前から道をわたって、森に入りました。そうすると、わりとすぐ、2〜3分歩いたところで、最初の一枚の写真が撮れました。
それまでは地面に近いところの植物の写真だったからいつも下を向いて撮っていたのですが、森に立って真っ直ぐ見た先に、今までとは違う不思議な気配を感じて、すぐにカメラを設置して、夢中でシャッターを押しました。撮ったあとも興奮して、すぐさま現像所に向かって。車で往復3〜4時間かかるのですが、そこで現像したものを見て「とんでもないものを撮った」と。すべては、そこから始まりました。
1989年のこの作品はぜひ見ていただきたいのですが、木の根元のほうのシダの葉っぱはブルーなのに、上のシダは黄緑色。全く加工していません。妖精が住んでいそうな森の気配。日本の森とはまったく違う。


――どの森の写真にも不思議と「自分が踏み込むのはここまで」という、ある距離感を感じます。

それは、いつもそうですね。「これ以上は近づかない、近づいちゃいけない」という感覚があります。「これ以上、踏み荒らしてはいけない」というギリギリのラインがあって。そこが「結界」というか。だから、あっちに行ったり、こっちに行ったり、木の周りをぐるりと回って裏を見たりしているわけでなくて、見た瞬間、身体的に定めた「ここまで」という位置で撮影しています。


――広告の写真と違って、自身の作品である森の写真の撮影には、時間の制限はないですよね。

制限はないのですが、同じものをずっと見続けるのには限度があって、だいたい5日間ぐらいが限界です。
最初、森に入ったばかりのときは、迷いがあったりしますが、3日目ぐらいから突然撮るべきものを早いスピードで見つけられるようになる。そして、そのうちにどこでも撮れる感覚になる。でも、5日目ぐらいになると、急に見えなくなります。鈍くなるというか。脳が疲れてくるのかもしれませんが。ものすごく複雑なものが見えるようになってきて。それが見えるのは本当に一瞬で、あとはまた見えなくなる。その場から去りたくなるような、いたたまれなくなるような気持ちになって止めるのです。でも、その状態を2日ぐらい耐えていると、また深いところが見えてくるようになります。だから、1枚も撮れない日もあれば、何十枚も撮れる日もある。


――1989年のQuinaultと2017年のQuinault。30年でなにが大きく変わりましたか。

森の捉え方が変わりましたね。森の中の光の捉えかたというか、撮るときにこういう光であってほしい、というようなことがすごく変わったと思います。
1989年のQuinaultは「これは上田さんが巫女になって撮った写真だよね」と言われたことがあるんです。「今の上田さんはこういう写真は撮れないよね」と。いいとか悪いとかじゃなくて。たしかに、1989年の写真には、僕自身が「こうあってほしい」という願いみたいなものがものすごく強く反映されていると思います。2017年の写真のほうは、森のすべて、そこに溢れる光もすべて受け入れる、という気持ちがあると思います。
――屋久島の、ピントを外してぼかした写真のシリーズもありました。あれはどういう意図が?

気持ちをドキドキさせたり、うれしくさせたりしているなと思うときがあります。そういう心にこみ上げる「喜び」のような光を表現したり、捕まえようとすると、必然的にあのようになりました。
手動でピントを合わせるので、カメラを覗いた瞬間は、ボケています。そこから焦点を合わせていくわけです。対象に焦点が完全に合うその手前、ボケてるときに強い光を意識していて、そのときにすごく気持ちがいいな、うれしいな、という感覚がある。ピントが合うと、意識が「物」の方に向くのだけれども、その手前は「光」に意識が行く。そのときの喜びに満ちた「光」を撮りたいと思っています。印象派の画家たちが南フランスの太陽の光によって、パリでは感じなかった「喜び」を、光を描くことで表現したのと似ているかもしれない。


――最近の作品は、焦点が手前に行ったり、奥に行ったりして、視線が複雑に。整えようとしていない。ものの捉え方がより解放されてきているのでは。

「物」そのものよりも「印象」のようなものをつかまえようとしていて。感じたままに撮影したいと思う気持ちがますます強くなっているような気がします。今ここに自分がいることがうれしいという、その感情も写真に撮りたいと思っています。

(後編に続きます)
Yoshihiko Ueda

写真家/多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授。1957年兵庫県生まれ。24歳のときプロフェッショナルとして写真の道に入る。以来、透徹した自身の美学のもと、さまざまな被写体に向き合うことになる。ポートレート、静物、風景、建築、パフォーマンス等、カテゴリーを超越した作品は国内外で高い評価を得る。

代表作のひとつであるアメリカインディアンの聖なる森を捉えた『Quinault』(1993)は、その後も上田を森に誘い、屋久島の森に宿る生命の根源にフォーカスした作品『Materia』(2012)へと導く。
2014年、日本写真協会作家賞を受賞。同年から多摩美術大学教授として後進の育成にも力を注ぐ。2015年には自身の30余年の活動を集大成した写真集『A Life with Camera』を出版。
今回の写真展に合わせて、青幻舎より写真集『Forest印象と記憶1989-2017』を出版した。
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上田義彦写真展「Forest印象と記憶1989-2017」
2018年3月25日まで
平日 11:00 - 20:00 / 土日・祝日 11:00 - 18:30
休廊 月曜日(祝日を除く)

Gallery 916
東京都港区海岸1-14-24 鈴江第3ビル6F
電話 03-5403-9161
http://gallery916.com/